当院の広報誌『けいめいだより』に掲載しました、当院の医師によるコラムをご紹介します。
【2022年11月寄稿】『老いと死』パート1
今回はいつもとは違った話をさせていただきたいと思う。30年以上医療現場で臨床医として働き、親の介護も経験した(現在もしている)ある医師の独り言である。
両親は長男教であったのだが、何故か次男である私(私達夫婦)が面倒をみるはめになり、隣に呼びよせ世話をしていた。認知症であった父は86歳で亡くなったが、左右の大腿骨頸部骨折をしてからはほぼ寝たきり状態であった。
家では面倒をみられなくなり、父をデイサービスに行かせようとしたのだが、現実を直視しない母親は「そんなみっともないことはできない」と納得せず、私が仕事を終えて帰宅してから入浴させていた。何とか母を説得し、デイサービスでお世話になる期間がしばらく続いた。
それも困難となり、施設へ入所することになったのだが、その際も母とはひと悶着あった。その母(現在86歳)はといえば、一時期リハビリ目的でデイサービスへ行っていたのだが、何か気に入らないことがあるとやめてしまい、結局3か所変わり、今はどこへも行っていない。
1日中家におり、運動もせず、筋力はどんどん衰え、寝たきりまっしぐらである。認知症はない様だが、「えらい。だるい。しびれる。食後眠くなる。」など体の不調を訴え、「昔はこんなではなかった。病気に違いない。コロナじゃないか。癌じゃないか。」を繰り返している。しかし、食欲は旺盛で、少なくとも私よりは沢山食べている。私が、「これからのこと、人生の最後はどうしたいのか。」と聞くと、もともと不機嫌なのが更に不機嫌になる。
自分の母をみて思うのだが、「老いと死を受け入れることができない人は、不満と不安が募るだけ」である。人間の命は永遠ではなく、いつかは死を迎える。プロのスポーツ選手は、永遠に現役を続けることはできず、いつかは引退せざるを得ない。誰しもわかっていることであり、変えることのできない事実である。
令和2年簡易生命表によると、男性の平均寿命は81.64歳、女性の平均寿命は87.74歳と報告されており、我が国は世界的にみても、超高齢化社会になっている。一方で、平均寿命から寝たきりや認知症など介護状態を差し引いた期間である「健康寿命」は男性が72.14歳、女性は74.79歳である。
平均寿命との間には、男性で約9歳、女性で約13歳の乖離があり、健康寿命を伸ばすことが課題となっている。主要死因は、悪性新生物(癌など)、脳血管障害、肺炎が上位を占めているが、治療法の進歩により、命は助かるケースが増えた。
しかし、それら疾患の後遺症や、大腿骨頸部骨折・脊椎圧迫骨折(直ちに死に直結する疾患ではないが)などは、生活の質を低下させる。防ぐことができない疾患もあるが、生活習慣・食生活の見直し、運動(これが特に重要)などにより予防・改善できる疾患も多い。高齢者のサルコペニア、フレイルが最近よくとりあげられているが、自分の努力次第であると考える。
「コロナが心配だがら外に出られず運動できない」、「腰が痛い、膝が痛いから運動できない」という人が多いが、出来ない理由を考えるよりも、出来る様にするにはどうしたらいいか、現状で出来ることは何かを考えて行動すべきだと思う。
新型コロナ感染症(COVID-19)に関しても、標準予防策(手洗い、手指消毒、マスク着用などの基本的な感染予防の行動)、ワクチン接種が重要であることは言うまでもないが、タバコを吸わないこと、糖尿病など基礎疾患のある人はそのコントロールをよくすること、高齢者は健康寿命を伸ばすことが更に重要ではないかと考えている。
他力本願で「長生きしたい、健康でいたい。」と思っている人が増えている気がする。そういう人達は、概して、「老い」と「死」を受け入れることができておらず、不満と不安が募るだけである。老いは努力次第で遅らせることが可能である。それでも、徐々に進んでいく訳で、自分自身の今後、最後をどうするのかを真剣に考えている今日この頃である。
【2024年12月寄稿】『老いと死』パート2
2年前に「老いと死」と題して勝手に意見を述べた「しがない臨床医」である。その時は、「認知症の父親の介護」と「老いと死を受け入れることができない母」の話をした。
父は既に他界したが、母は「動くのも嫌」とのことで、昨年、有料老人ホームへ入所した。長男教で(私は次男なのだが)、子供が親の面倒をみるのは当たり前だと思っている人なので、当然、入所の際はひと悶着あった。幸い今のところ何とか退所せずに過ごしている。
日本は急速に少子高齢化が進んでいる。平均寿命と健康寿命(平均寿命から寝たきりや認知症など介護状態を差し引いた期間である)の大きな乖離(10歳以上ある)が問題となっている。また、介護する家族の精神的・経済的な負担も無視できない。
家族の介護負担や高齢者の生き方について問題を投げかける小説、映画がある。
【書籍】スクラップ・アンド・ビルド|羽田圭介さんの第153回芥川賞受賞作品
主人公である若者は「死にたい」と言う祖父の言葉を真剣に捉え、「究極の自発的尊厳死」について考える。そんな時、介護職の友人から「使わない機能は衰える。だから老人の自発的な行動を積極的に奪う事で、死に追いやる事は可能だ」とアドバイスを受ける。「足し算の介護」だ。主人公はこれを遂行するため、祖父の行動を徹底的に奪おうと決意し、物語は進んでいく。
つまり、身の回りのことを全部やってあげて、本人が全く動かない様にすれば、筋肉もなくなり、全身の機能も衰え、フレイル・サイルコペニア状態となり、すぐ寿命がつきるでしょうということだ。逆に健康寿命を伸ばそうと思えば、フレイル・サイルコペニア状態にならない様に、頭と体をよく使えばいいということである。
【映画】PLAN 75|倍賞千恵子さん主演(2022年6月公開)
高齢化社会の対応策として、国は75歳以上の高齢者が自ら死を選べる制度を施行した。詳しい内容は映画を見ていただきたい。
「長生き」=「悪」なのか。そうではないと言うには、健康寿命を伸ばすのが一番だと考える。
【映画】ロストケア|松山ケンイチさん主演(2023年3月公開)
介護士として働きながら40人以上の高齢者を殺害した殺人犯と、彼を裁こうとする検事(実生活では親の介護から逃げている)の激突を描いている。介護の大変さを経験している犯人は(自身も認知症の父親を介護していたが殺めてしまう)、自分のしたことは間違っておらず、介護に生活を破壊された家族を救ったのだと主張する。家族を失った遺族の思いは「私、救われたんです。」「人殺し!お父さんを返せ!」と一様ではない。
法を犯した時点でアウトだが、認知症の親の介護を経験した自分としては複雑な思いである。
単に長生きするのではなく、どう生きるかを考える時代になっている。私自身は家のリフォームをきっかけに断捨離をし、終活を始めたところである。